仕事の合間に、自然をめでる時間をつくってみる。机の前で考え続けていたことが、山を歩いたあとには少し違って見える。そんな経験が、私には何度もあります。2026年10月3日、生まれ故郷の栗駒山を歩きながら、今年も「栗駒RED」を探しました。両親のお墓参りを兼ねた故郷への訪問と、年に一度の山歩き。いつの間にか、大切な習慣になっています。
文・写真:菅原 孝(BMマガジン編集部)
登山日:2026年10月3日
地元の山の美しさを教えてくれた、タクシーでの会話
きっかけは、10年以上前のことでした。タクシーに乗ったとき、女性ドライバーと登山の話になりました。当時、私にとって女性のタクシードライバーに出会う機会はまだ少なく、その会話は今でも印象に残っています。
私が宮城県の栗駒出身だと話すと、栗駒山は紅葉が素晴らしく、「神の絨毯」と呼ばれているのだと教えてくれました。
恥ずかしながら、生まれ育った地元の山が、そんなふうに称えられているとは知りませんでした。調べてみると、山肌一面を彩る紅葉の写真が出てきます。それからは、秋になるとテレビで紹介される栗駒山の様子も、自然と目に入るようになりました。山が急に有名になったというより、私の目の向け方が変わったのかもしれません。
その後、10月初旬の栗駒山を訪ねました。それ以来、毎年通うようになりました。あの会話がなければ、地元の山をこうして歩くきっかけも、ずっと先になっていた気がします。
見上げる紅葉から、見下ろす「神の絨毯」へ
10月3日は晴れ。山歩きを楽しむには、うれしい天気でした。歩き始めは低木に視界を遮られ、遠くの景色はなかなか見えません。ところが、1時間ほど登ると、目の前が開けてきました。
赤、黄色、そして緑。ひとつの色に塗りつぶされるのではなく、それぞれの色が混じり合い、斜面の起伏に沿って広がっています。さらに登って振り返ると、そこには、まさに「神の絨毯」がありました。
街で見る紅葉は、木の下から見上げることが多いものです。ここでは、その紅葉を見下ろす。背丈のそろったように見える低い木々が、一つひとつ違う色に染まり、山肌を覆っています。「絨毯」という言葉は大げさではなかったのだと、自分の目で見て、ようやく分かりました。

その色の間を縫う登山道には、歩いてくる人の姿が続いています。紅葉の時期には全国から大勢の人が訪れることを、栗原市の観光案内でも紹介しています。私にとって身近だった山が、誰かにとっては、遠くからでも一度は訪れたい山なのです。

栗駒山は、暮らしと祈りにつながってきた山
栗駒山は、東北地方の宮城・岩手・秋田の3県にまたがる山域をもち、標高は1,626メートル。須川岳とも呼ばれる活火山です。名前は、初夏に山頂西側へ現れる馬の姿の雪形に由来するといわれています。紅葉だけでなく、高山植物や湿原、山麓の温泉にも恵まれた山です。栗原市公式観光サイトの栗駒山案内と気象庁の解説に、その概要が紹介されています。
登山の歴史をたどると、景色を楽しむ以前から、人々が祈りを携えて登ってきた山でもありました。日本山岳協会の大会資料では、表掛コースから山頂を経て、裏掛コースで駒ノ湯へ下る道筋が、信仰としての栗駒山登山だったようだと説明されています。今も残る古い登山道には、山とともに暮らしてきた人々の時間が重なっています。
登山ルートは複数あり、宮城県側のいわかがみ平から登る中央コースは、山頂まで約3キロメートル。登りはおおむね1時間半~2時間、下りは1時間10分~1時間半ほどが案内の目安です。これは中央コースを往復する場合の目安で、今年の私が歩いた行程とは異なります。写真を撮ったり、景色に見入ったりする時間も、別に見ておきたいところです。
今年は宮城から岩手へ下り、もう一度登り返す
毎年訪れていると、ときには違う道も歩きたくなります。表掛から登って裏掛へ下るなど、年によってコースを変えてきました。同じ栗駒山でも、歩く道を変えると、目に入る景色も山の印象も変わります。
今年は宮城県側から登り、一度岩手県側へ下りてから、再び登り返して宮城県側に戻りました。山頂を往復するだけの行程より、しっかり歩く一日になりました。
岩手県側では、下山口のすぐそばに須川高原温泉があります。写真には、岩肌を包むように立ちのぼる湯けむりが写っています。色とりどりの絨毯が広がる宮城県側とは、また違う表情です。紅葉の美しい山であると同時に、温泉を生む火山でもある。そのことを、風景が教えてくれます。

いつの間にか、「栗駒RED」を探す旅に
以前、紅葉の時期の情報を発信している方のブログで、「栗駒RED」という言葉を見かけました。誰が最初に使った言葉なのかは分かりませんが、私には、妙にしっくりきました。それ以来、この山を歩くときには、自分なりの「栗駒RED」を探すようになっています。
斜面全体を染める赤もあれば、緑の笹の中で、ひときわ鮮やかに見える赤もある。遠くの景色を見ていたはずが、気づくと目の前の葉に引き寄せられている。登頂することに加えて、その日、その場所で出会う色を見つける楽しみができました。

同じ登山でも、写真を撮る人、食事を楽しむ人、仲間との会話を楽しむ人がいます。私の場合は、そこに「赤を探す」が加わったわけです。自分だけの小さな楽しみが一つあると、同じ山でも、訪れるたびに見るところが変わります。
毎年帰る理由は、両親のお墓参りにもある
地元にあるからこそ、いつでも行けると思ってしまう。近くにあるものの良さに、案外気づかずにいる。これは、栗駒山のふもとで育った私だけのことではないのかもしれません。
生まれ故郷を離れてから、人に教えられ、実際に足を運び、ようやく湧いてきた気持ちがあります。「自分の地元には、こんな景色があったのか」。知っているつもりだった場所を知り直すのも、山を歩く楽しみになりました。
毎年、栗駒山へ行く理由は、紅葉だけではありません。故郷には両親のお墓があります。お墓参りを兼ねて帰り、山を歩く。その二つが重なっていることが、毎年続いている理由でもあります。
生まれ故郷に十分な貢献ができているとは思っていません。それでも、栗駒山のこと、とりわけ「神の絨毯」の美しさは、ことあるごとに人に伝えています。かつて私がタクシードライバーの言葉に背中を押されたように、その話が、誰かの「行ってみよう」につながったらうれしいと思います。
栗駒山は、深田久弥の『日本百名山』に選ばれた山ではありません。それでも、この紅葉を前にすると、百名山に入っていても少しも不思議ではない、と感じます。選ばれたかどうかとは別に、自分の足で歩き、自分の目で見て、大切になる山がある。私にとって栗駒山は、そんな山です。
仕事の合間に、心が動く時間をつくる
私が登山を始めたのは、50歳を過ぎてからです。理由の一つに、デジタルデトックスがありました。日頃見続けている画面から離れ、仕事の連絡からも少し距離を置く。山なら、そんな時間を持てると思ったのです。
ところが、通信技術は進歩しました。今では、対応する機器やサービスを使えば、携帯電話の圏外でも衛星を介して位置情報を共有できます。安心が増えるのはありがたい。その一方で、山に入れば自然に日常の通信から離れられる、というわけでもなくなってきました。うれしいような、少し複雑なような気持ちです。
それでも、目の前の赤に見入っている間は、仕事のことを忘れています。次の一歩を確かめ、ふと立ち止まり、遠くの山並みを眺める。そうして戻ったあと、滞っていた仕事が進み始めた経験は、一度や二度ではありません。
何か特別な答えを山から持ち帰るわけではありません。ただ、同じ問題を見ている自分の気分や、考え方の向きが少し変わる。その違いが、次の一歩につながることがあります。
忙しい日々の中で、自然を楽しむ時間を予定に入れてみる。山に登るなら、準備と移動を含めて余裕のある時間を確保する。もっと身近なところでは、仕事の合間に外へ出て、街路樹の色づきを眺めるだけでもよいのだと思います。
「リフレッシュが大切」と言葉で知っていることと、自分がリフレッシュしたと感じることは、少し違います。仕事でも、普段の暮らしでも、心が動く時間を持っていたい。栗駒山の赤を思い出すたびに、そんなことを考えます。
登山を計画する際は、天候、登山道の状況、火山情報、紅葉期の交通規制を事前にご確認ください。所要時間は休憩や混雑などによって変わります。
参考資料
地理・登山コース・紅葉:栗原市公式観光サイト「栗駒山」、宮城まるごと探訪「栗駒山(いわかがみ平)」
火山の概要:気象庁「栗駒山」
登山と信仰の歴史:日本山岳協会「第54回全日本登山体育大会 宮城大会」資料(冊子10~11ページ)
衛星による位置情報共有:Apple「衛星経由の緊急SOS、本日提供開始」

